2025.12.13
明治大学商学部発!フィリピンで起業に挑戦
商学部4年 池田 遥菜〔商学部の現場〕編集部記者

フィリピンでボランティア活動を行った長谷川さん(中央)
みなさん、こんにちは。
商学部4年〔商学部の現場〕学生記者の池田です。
明治大学商学部には、7つの専門コースが設置されています。学生は2年次の半ばにコースを選択し、3年次から本格的に学び始めます。なかでも最も新しく、他大学の商学部にはあまり見られない独自のコースが「クリエイティブ・ビジネスコース」です。
このコースは、次世代のビジネスを見据え、企業家精神を育みながら、新しい価値を生み出す力を身につけることを目指しています。
そのクリエイティブ・ビジネスコースを代表する授業のひとつが「ベンチャー・ビジネス論」。現役経営者が講師を務め、起業や新規事業開発に関心のある学生に向けて、実践的なビジネスのリアルが語られます。さらに、講師が信頼を寄せる起業家や社会起業家をゲストとして迎え、実体験に基づく話を聞けるのも大きな魅力です。
今回インタビューしたのは、この「ベンチャー・ビジネス論」の授業で記者・池田が知り合った、24年度卒業生の長谷川颯大さんです。長谷川さんは、英語学習の中で出会ったフィリピン出身の友人との交流から始めた現地でのボランティア活動をきっかけに、課題解決を目指して事業化にも挑戦しました。現在は、外国人の就労支援に取り組む会社の立ち上げを目指して準備を進めています。
大学生活の中で出会いと挑戦を重ね、自らの道を切り拓いてきた長谷川颯大さん。その歩みについて、お話を伺いました。
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池田:大学生活で、最初に力を入れて取り組んだことは何でしたか?
長谷川:英語学習です。大学には並大抵の気持ちじゃなく、これだけはやり切ったって言えるものが欲しかったので、その中でまず本気で取り組んだのが英語でした。僕は静岡の田舎出身で、周りに英語を話せる人がほとんどいなかったので、英語を話せる人ってすごくかっこいいなと思っていました。ただ、自分が怠惰な性格なのも分かっていたので、逃げられない環境に身を置こうと考えました。そこで、日本人が自分ひとりだけの外国人向けレストランで、2年半ほど働きました。そこでは公用語が英語で、最初は全然伝わらなくて、怒られたり誤解されたりして、泣きながら学ぶ日々でした。それでもどうしても英語を身につけたいと思い、オンライン英会話を始めました。最初に担当してくれた講師に、僕が悩みを打ち明けると、「僕たちはもう、友達だからお金なんていらないよ」と言って、インスタグラムの通話で毎日3,4時間も英語を教えてくれたんです。気づけば2年半が経ち、ちゃんと英語でコミュニケーションが取れるようになっていました。その過程で留学もしてみたいと思うようになり、アメリカの大学への交換留学にも合格し、TOEFLやTOEIC、英検などの資格も取得できるようになっていきました。
池田:もしかして、英語を教えてくれていたその講師の方が、後にフィリピンへ行くきっかけとなるご友人ですか?
長谷川:はい、そうなんです。チャーリーという友人で、本当に感謝してもしきれない存在です。

長谷川さん(左)とチャーリーさん(右)
池田:チャーリーさんとの関係が、かなり大きな転機になっているように感じました。留学の準備も進めていた中で、最終的にフィリピンへ行くことを選ばれたのは、どんな経緯があったのでしょうか?
長谷川:留学は4年生の後期から行く予定で、準備も進めていました。ただ、その頃チャーリーとフィリピンの話をよくしていて、国としてもすごく興味があったんです。それで、チャーリーに、これまでのお礼がしたいと伝えたら、「何もいらないけど、よかったら一度僕の生まれ育った場所を見に来てほしい。颯大がそこで何を感じるのかを聞いてみたい」と言われました。もともと国際協力にも興味があったので、それならまずフィリピンに行ってみようと思って、結果的に留学は辞退し、フィリピンでチャリティ活動をすることを決めました。
池田:フィリピンを訪れるだけでもよかったと思うのですが、本格的なチャリティ活動に踏み切ったのはなぜだったのでしょうか?
長谷川:もともと国際協力系のYouTubeが好きで、人のためになっていて、みんなが喜んでいる様子を見るのがすごく好きだったんです。せっかくフィリピンに行く機会をもらえたなら、自分も何かしら人の役に立つことをしたいと思いましたし、YouTubeもやっていたので、この経験をちゃんと形として残したいという思いもありました。どうせ行くなら120%でやったほうが、自分にとっても大きな経験になるし、動画制作としても価値があると思って、チャリティ活動に踏み切りました。現地では、動画も撮ってはいたんですけど、事業化の話が一気に進んだので、結果として、YouTubeに投稿するより事業の方に進むことになりました。
池田:実際にフィリピンではどんな経験をされたのでしょうか?
長谷川:フィリピンでは、小学校や幼稚園をまわって、子どもたちに文房具やバッグを配るチャリティ活動をしました。というのも、事前に校長先生に、今いちばん必要なものは何ですかと聞いたら、バッグが買えなくて筆記用具や宿題を持ち運べない子が多いと聞いたんです。なので、文房具がセットで入っているバッグを用意して、すぐに学校で使える形で届けました。配ったときの子どもたちの笑顔は本当にまぶしくて、お母さん方もすごく喜んでくれて、歓迎の歌とダンスまで披露してくれたんです。
ただ、そのあと子どもたちに、将来の夢は何?と聞いたら、日本の子どもと同じようにYouTuberになりたいとか、医者になりたいとか言うんですけど、親御さんにその夢を伝えると、叶うといいねって静かに言われて。日本だと努力すれば叶うかもしれないから頑張ってほしいという前提がありますけど、現地の親御さんは、そもそも努力できる環境自体がないことを分かっている。だから、子どもの夢を否定するわけじゃないのに、叶える未来を想像できていないんだと感じて、胸が痛くなりました。
一方で、現地の人たちは僕たちよりずっと幸せを感じる力が強いんです。日本だと電車が少し遅れただけでイライラするなど、できていない部分に目が向きがちですけど、彼らは今日は安全だった、みんなでご飯を食べられたって、できたことを基準に喜べる。その姿勢にすごくハッとさせられて、自分の価値観が大きく揺さぶられました。

子供たちにバッグを配る長谷川さん
池田:フィリピンでのチャリティ活動について、私自身も、どうやって実現したんだろうと気になったのですが、活動費はどのように準備されたのですか?
長谷川:最初のチャリティは全部自腹でした。自分のお金でやるからこそ本気になれると思ったんです。逃げられない環境を作りたくて、1ヶ月まるまるバイトで埋めたり、時給が高い仕事を探して千葉でゴミ清掃の仕事をしたり、本当に必死でした。
池田:すごいですね。ただ、自腹で続けるのには限界がありますよね。そこから、ビジネスとしての仕組みを考えるようになったと思われますが、どのように発想が転換していったのでしょうか?
長谷川:僕が考えたビジネスは、いわゆる"フィリピン版タイミー"のような仕組みです。フィリピンの都市部って経済成長が進んでいて、人手不足の企業も多いんですが、一方で働きたいのに働けない人が、特にスラムの地域にはたくさんいるんですよね。そこで、企業と働き手をスキルベースでマッチングさせるサービスを作ろうと考えました。学歴がなくても、例えば清掃や皿洗い、ベッドメイキングなど、できる仕事はたくさんある。そうした仕事にアクセスできれば、貧しい人たちの収入につながると思ったんです。実際に簡易アプリを自分で作って企業にプレゼンしたところ、7社くらいが協力してくれて、大学生やワーカーの方に働いてもらう実験も行いました。手応えはすごくあって、紹介したいと言ってくれる企業もあり、リリース直前まで進んでいました。
ただ、最終的には一度撤退することにしました。理由は二つあって、ひとつはフィリピンの外資規制で、日本人の僕が主体の会社を作るには最低3,000万円の資本金が必要だったこと。もうひとつは、都市部の求人では、僕が最終的に届けたかった、スラムの人たちに仕事が届かなかったことです。都市部の大学生だけで求人が埋まってしまい、僕たちが思い描いたインパクトを生むには、あと数年は国全体の成長が必要だと感じました。
なので、一度日本に戻って体制を立て直すことにしましたが、チャレンジ自体は今も諦めていません。

開発したアプリのイメージ
池田:お話を伺っていると、日本では同じようなサービスがすでに定着していますが、フィリピンなら先駆者として大きなチャンスがあったのではないか、とも感じました。そんな中で、事業から一度退くという決断をされたことに、後悔はありませんでしたか?
長谷川:市場としては本当に大きくて、先駆者になればビジネスとしては成功できたと思います。でも、僕がやりたかったのは、事業を成功させることよりも、仕事がなくて困っている人たちにチャンスを届けることだったんです。現地で感じた無力感を原点にしていたからこそ、目の前の利益だけを取ってしまうと、いつの間にか自分のビジョンから離れてしまうと思った瞬間に、これは一度立ち止まるべきだと判断しました。決して簡単な決断ではなかったですが、自分のビジョンを守るための英断だったと思っています。
池田:では、一度立ち止まった今、長谷川さんは現在どのような活動に取り組まれているのでしょうか?
長谷川:日本に戻ってからも、彼らのために何かしたいという気持ちは消えませんでした。そこで帰国後は、さまざまな経営者の方に会って相談していたのですが、その中で大学の授業で知り合った方の紹介で、日本で外国人材の受け入れ事業を行う経営者の方と出会ったんです。
話を伺ううちに、日本で働くことがフィリピンの家族にとってどれほど大きな収入源になるかを改めて実感しました。現地で働くより最大で70倍の収入になることもあり、3年間日本で働けば、現地で家が建つケースもあるほどです。現地で1日数時間の仕事をつくるより、日本で働く機会を提供する方が、家族を確実に支えられる。そう気づいたとき、これまで自分が作り込んできたビジネスモデルよりも、こちらの方が子どもたちの人生を大きく変えられると感じました。
その経営者の方から「本気なら一緒にやろう」と声をかけていただき、現在は愛知県田原市で、農業など人手不足の現場と海外で働きたい人をつなぐ事業に取り組んでいます。田原市は、国内有数の農業生産量を誇り、大規模農地を抱える農家の多くが慢性的な人手不足に悩んでいる地域です。
これまで作ってきたモデルには強い愛着がありましたが、彼らのためにならないことは、どれだけ時間をかけたものでも手放す。それが自分の経営者としての決断だと思い、いまはこの事業に全力で向き合っています。
池田:現在の会社とのご縁も、大学でのつながりがきっかけだったんですよね。長谷川さんのお話を伺っていると、挑戦の場や人との出会いなど、大学での環境が大きく影響しているように感じました。明治大学商学部で、特に、ここがよかったなと感じている点はどんなところですか?
長谷川:ほんと、明治大学商学部でよかったなと思うことはたくさんあります。今の会社の社長を紹介してくれた方も、「ベンチャー・ビジネス論」で出会った人でした。この授業には、夢や挑戦したいことを持っている学生が本当に多くて、一声かけると、実はこんなことをやりたいんだよねと自然に話が広がっていくような、前向きなエネルギーに満ちた空気があったんです。ああいう雰囲気はすごく刺激的でした。
それから、教授との距離が近いことも大きかったですね。会計の先生に、授業後、フィリピンの株の相談をしたら、興味を持ってくださって、「ご飯行こうよ」と誘っていただいたり、他大学の教授まで紹介してもらったり。挑戦したいと思ったときに、真剣に向き合ってくれる先生が多いと感じました。
さらに、この分野に詳しい人と話してみたいと相談すると、商学部事務室の方が関連する教授や専門家につないでくれることもあって、僕自身もそのつながりから国際法に詳しい弁護士を紹介していただきました。そこから具体的なアドバイスをもらえたことは、今の自分にも直結しています。こうした、人とのつながりが自然に広がっていく環境が、今の自分を形づくってくれたんだなと感じています。
池田:最後に読者の方にメッセージをお願いします。
長谷川:僕、人生にはこれをやったら正解という答えはないと思っているんです。だからこそ、学生のうちは、やりたいと思ったことを、恥ずかしがらずに全部やってみることを大事にしてほしいです。最初から自分には無理だろう、これはできないと決めつける必要はありません。やりたいことを一度全部書き出して、ひとつずつ全力でやってみると、必ず何か気づきが得られます。それが好きか嫌いかも、やってみて初めて分かるんですよね。そして、挑戦する中で困ったら、周りに助けを求めてみてほしい。学生って、本当に多くの人が手を差し伸べてくれる立場なんです。挑戦してみると、最初はリスクに見えていたことも、意外とリスクじゃなくなる瞬間があります。明治大学商学部には、その挑戦を後押ししてくれる環境がたくさんあります。ぜひ、4年間を"なりたい自分に近づくための滑走路"として、思いきり使ってください。未来の自分が誇れるような学生生活を送ってほしいなと思います。
池田:本日はありがとうございました。

卒業式当日の写真
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