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2020.07.01

【2019年度第1回商学部スノーピーク研究・実践奨励金 成果報告書⑤】釜沼北棚田オーナー制度の稲刈り

 9/1〜9/2に千葉県鴨川市の釜沼北棚田オーナー制度の稲刈りに参加をしました。今回の現地調査では棚田オーナー、稲刈りスタッフ等との交流、インタビュー調査、稲刈り参加者へのアンケート調査、釜沼北棚田オーナー制度の運営者とNPO活動のインタビュー、無印良品担当者へのインタビューを行いました。

 

 当日は汗と日差しで肌がピリピリとするほど暑かったですが、地元の方がつけてくれた梅干しの差し入れを口に含みながら稲刈りをしました。棚田オーナー制度の稲刈りに参加して、国籍や年代問わず、様々な人が稲を刈っている姿が印象的でした。稲刈りの後は、地元のお母さん方とオーナーやその友人の奥様方が作ってくれた混ぜごはんと漬物、お味噌汁をいただきました。

 釜沼北の棚田オーナー制度は12年前に地元の農家の方達が始め、現在は釜沼北に20年前に移住してきた林良樹さん(51)がオーナー制度を引き継ぎました。

 地元の長老瀬戸善一さん(87)のお話の中で、『今のところはこの人(林さん)のおかげでさ、林さんがきて、いろんな人が入ってくるようになった、地域の農家組合長をやって17年くらいかな。』と聞き、それを受けて、釜沼北地域では棚田は農家のご子息の方やまた移住者やオーナー制度によって引き継がれているのですか?と質問しました。すると、『山の方はもう放棄されているよ。やってもらう人がいればいいけど、やってくれって頼む人がいない、孫の代までこっち(釜沼北)に来ないよ。信用できる人だったら(任せて)いいけどさ』とお話ししてくれました。オーナー制度が運用されているからといって、地域のすべての棚田が保全されているわけではないと知ることができました。また、無印良品が釜沼北のお米を使って「日本酒」という商品を作っていることに対しては、『自分のところはお米出してないよ。だけど前、東京行って、しめ縄を作るのを有楽町の無印の中でやったんだよね、新宿に(新しく)できたから行ってみたいな』と楽しそうにお話ししてくれたことが、とても印象的に残っています。

 林良樹さんへの聞き取りでは、農家の方からどのように信頼を得たのかというお話をききました。すると、「自分が受け入れられたのは、お米作りを始めて、この土地で生活をするという気持ちが伝わったからなのではないか、また、最初は炭焼き小屋の長老たちがすみを焼いていた、関所のような所で立ち止まって話をし、村の寄り合いの後の飲みニケーションで話しているうちにお互いが歩み寄ってきたのではないか」とお話ししてくれました。このように、地元の人をリスペクトし、外から企画を持ってくるのではなく、自分がその土地の人間となり、農家組合長になり貢献することによって、移住者でありながら、信頼を得てオーナー制度を引き継いでいるのではないかと考えました。

 無印良品の担当者の方からのお話は、みんなみの里という良品計画が指定管理者となっている交流ターミナル(道の駅)で聞きました。鴨川だけの話ではなく、無印良品が行なっているローカルな活動の全体像をお話ししていただきました。鴨川での活動は無印良品のローカル活動中でも最も早くに始まり、棚田のお米で「日本酒」という商品を作り、産直サイトと東京、大阪、博多の限定店舗にて販売しているなど、最も進んでいることが分かりました。そして無印良品の発信を通して、棚田を知らなかった人や農業を体験したことのない人々が活動を知り、棚田に訪れているそうです。

 無印良品と釜沼北棚田とのコラボは林さんがメールを送ったことがきっかけなのですが、数日後に社長が直々に釜沼北の古民家に来てくれたそうです。さらに、農林水産省の棚田女子プロジェクトからFacebookで連絡が入り、無印良品の棚田トラストの稲刈りの調査に来たようです。林さんの『インターネットの影響は大きく、大企業の社長であり、官僚であっても直接つながれる時代ですね』という言葉がとても印象に残りました。

 農林水産省も棚田女子プロジェクトを始めていて、世代交代を迫られながらも、企業、NPO、行政などがそれぞれ協力をしていることが今回の釜沼北での調査を通じて分かり、棚田の保全活動が時代の潮流にあうようになってきているのではないかと感じました。

※この研究は,株式会社スノーピーク社長・山井太様(1982年商学部卒業)からの寄付を原資とした「商学部スノーピーク研究・実践奨励金」の給付を受けて実施されました。

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