ゼミ

2026.09.24

浅間ゼミ、上田市立美術館学芸員と勉強会を開催

浅間

 浅間ゼミは、夏合宿で利用する菅平セミナーハウスへ向かう際の玄関口にある上田市を訪れ、上田市ゆかりの芸術家・山本鼎について、同市立美術館学芸員の山極佳子さんの指導のもとで勉強会を行いました。
山本鼎(1882~1946)は、創作版画の発展に貢献するとともに、農民美術運動や自由画教育運動を推進した芸術家です。東京で版画や油彩画を学んだのち、フランスへ渡り、ロシアを経て帰国しました。その後は現在の長野県上田市を拠点に、農民美術運動と自由画教育運動を展開してゆきます。フランスや東京という「中心」から離れた場所に身を置きながら、芸術とは何か、芸術を人びとの生活にどのように結びつけられるかを考え、実践し続けた人物です。
 今回の勉強会では、学生たちが事前に調査・研究してきた成果をもとに、山本の版画や油彩画、ほかの芸術家との交流、ヨーロッパへの渡航、さらに美術運動や教育活動などについて発表しました。その後でそれぞれの発表に対して、山極学芸員から丁寧な講評をいただきました。

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写真1:上田市美術館での勉強会

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写真2:山極学芸員のレクチャー

 農民美術は、大正期に、農閑期を利用して農家の副収入を生み出すことを目的に始まったとされています。現在まで受け継がれている木彫工芸などが、その代表的な例です。山本はロシア滞在中に、農民の手仕事を工芸として振興しようとする取り組みに触れました。同じ頃、イギリスではアーツ・アンド・クラフツ運動が展開されるなど、ヨーロッパ各地で民衆の手仕事に目が向けられ、芸術を日々の生活に取り入れようとする動きが広がっていました。こうした動きからは、「美」に対する人びとの感覚が少しずつ変化していったことがうかがえます。人の手で作られたもののなかに美を見いだす感性が、地域や国を越えて共有されるようになったとも考えられるでしょう。

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写真3:勉強会とレクチャー終了の後

 一方、農民美術運動が広がるにつれ、手工芸品が土産として販売されるようになりました。山極学芸員は、もともと「農民美術」は地域の暮らしに根ざすモノを指していたが、この運動では商品として工芸品制作をし、それが消費されていくようになった、という点を指摘されました。商品化が進む過程で、その土地で作られたという具体的な背景が次第に薄れてゆき、「ローカルらしさ」そのものが一種の記号として使われるようになったというのです。その例として挙げられたのが、「ご当地キティ」のような商品です(ご当地めいじろうは、「らしさ」のさらなるパクリでもあるわけです)。土地に根ざした品物が、その土地を示す記号へと変化していく過程は、芸術と地域、そして商品の関係を考えるうえで、とても興味深いものでした。
 翌日には、旧山本鼎記念館のあった場所に建てられてた上田市博物館を訪れ、この地域の地場産業、特に養蚕業について学習しました。上田市は、「蚕都(さんと)」と呼ばれるほど養蚕業で栄え、その豊かな地域基盤が、木工品などの農民美術の発展を支えたことがわかりました。

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写真4:旧山本鼎記念館の碑

 今回の合宿は、山本鼎の活動を学ぶだけでなく、芸術が生活や地域とどのように結びつき、さらにそこから生み出されるモノがいかにして商品として流通していくのかを考える、貴重な機会となりました。

参考URL
上田市立美術館:https://www.santomyuze.com/museum/
山本鼎紹介ページ:https://www.santomyuze.com/museum/collection/yamamotokanae/
上田市立博物館:https://museum.umic.jp/hakubutsukan/

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